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東大院生が「なんで勉強しなくちゃいけないの?」から色々考えたこと

 

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ただ考える回。

私は現在、いろんな意味でやばいやつがたくさんいる、東京大学の大学院生を不真面目にやっています。不真面目すぎるせいで、もはや経歴は傷だらけであり、エリート街道には全くかすってすらいません。

お叱りは多々あるかと思いますが、勉強のし過ぎで、心が崩壊したことのある身として、いろいろと考えたことを発信します。

 

おととしまで、こういう生活をしていました。7年間くらい、ずっとこのペースで走り続けていました。こちらは当時の日常風景です。

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これは全部「自習」の時間です。授業とかそういう受け身のものは入っていません。

学校通っているのにこれでは時間が合わない?

隙間の時間を全部使って、さらに寝なければいけます。平日寝るのは1時間くらいにして、土日にたくさん寝ます。※よいこはまねしないでね。

ちなみにこれは「スタディプラス」という、何にどれくらい時間を使ったのか記録できるとっても便利なアプリのスクショです。気になる方は、検索してください。

 

小学生「子どもはなんで勉強しなくちゃいけないの?」ママ「 」

 

小学校6年間、中学校3年間は勉強をしないといけないことになっています。さすがにこのご時世、文字の読み書きや簡単な計算が出来ないと、日常生活がなかなかツライというのはわかります。

あと、出来なくても生きてはいけるけど、出来ないとかなり不便な、常用漢字

これも大人になって日常生活をスムーズに送るために必要だといえます。

こういう質問をぶつけてくるこどもも、ここまではまあ納得するでしょう。

それでは、molとかサインコサインタンジェントとかサ行変格活用とかma=Fとか、日常生活に必要なこと以外の領域の勉強は、何のためにするんだろう?ということを考えてみます。

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中学生に聞かれたことがある

以前、塾講師のバイトをしていて、数学を教えてたんですけど、その時に担当していた中学生の女の子に「なんで数学とか生きるのに必要ないことやらないといけないの?」と聞かれたことがあります。

そのときは「私もわかんない☆」としか言えませんでした。だってわかんないもん。

講師がそれでいいのかということはさておき、いざこどもに聞かれてちゃんと考えてみると、なんで勉強するんでしょう、わかんなくないですかオトナのみなさん。

 

わかるようなわからないようなやっぱよくわからない答え

ネット上で見かける、カッコつけた答え。みなさんも見たことあるんじゃないかなと思います。中には”秀逸な回答”といって紹介されていることもあります。

 

・知らないことを知ることで、世界が広がるし新しい可能性が見つかるかもしれない

・多角的視点で物事を見ることができるようになる

・何を学ぶかしか考えられていない時点で視野が狭い、学ぶ力をつけるんだ

・数学が意味ないっていうけど、君の持っているスマホは数学がなければ誕生してないんだぞ?

・知識があることで、いろいろ工夫することができるし、知識があるからこそ、その先の疑問を考えたり、質問することができる。知らなければ何もはじまらない

・勉強するとその分、自分の将来の選択肢が増えるんだよ

・生徒「因数分解なんか何の役に立つんですか」先生「こんなこともできない君は何の役に立つんですか」←ツイッターかどっかで見かけたネタ

・勉強は今しかできないんだよ

・将来何が役に立つかはわからないんだ

・過去の自分と比べて、どれくらい成長したのかが大事なんだ。出来ないことを出来るようにする努力を続けられる人は、成長していくんだ。分からないからって途中であきらめたりしているようでは、あきらめグセがついてしまって成長できないよ

・政治経済や地理の知識がなければ、不動産や金融関係に就職が難しくなる

・私たちの社会は、中学や高校で習うことが基礎になって成り立っている

・大人として自分で道を切り開いていくために、勉強は必要

 

 

昭和の香り漂う迷言もいくつかありますね…(小声)

 

これを聞いて腑に落ちるのだろうか

小学生、中学生のみなさん、オトナはこういった正解の無い哲学的な質問をされると、上述のように、キレイでカッコイイコトを言いたがる傾向があるのです。悪気はないので許してあげてください。

勉強って、ひとによっては苦行です。好きな人と得意な人はいいんですけど、どう頑張ってもイマイチな人っている。自分が超頑張っても出来なかったことを、ちょっとやっただけでさくっと出来ちゃう人を目の当たりにして、嫌な気持ちになったり自分を否定したりしてる人がいる。

 

これらの昭和の迷言が間違いだ、とかではありません。そもそもこのテーマは正解がないし、正しい正しくないの目線で考えるべきことではないと思います。

ただ私が思うのは、そんな理由では、ひとによっては苦行でしかない勉強を何年も押し付ける十分な理由にならないのではないか、つまり、上記のように言われて、「そっかー!じゃあ勉強はしないといけないね!」とはならないよなぁということ。なんか腑に落ちない。

こういうことを言われて、仮に納得した顔をみせてくれる小学生や中学生がいたら、それはたぶん、気持ちよさそうにオトナ風を吹かして「多角的視点が…」とか言っているその人に気を遣ってくれているんじゃないでしょうかね…?違いますか…?おっと失礼…。

  

勉強をするのは、普通の人生を歩むため

キレイゴトを一切無しにして、今の日本で勉強をするのは、端的にハッキリいって「普通の人生を歩むため」だと思っています。

やれと言われたことを文句言いながらもちゃんとやり、みんなが勉強しているときに同じように勉強をして、高卒→大卒と学歴をつけていって、企業に就職してサラリーマンになる。

今まで人の言うことをきちんと聞いてきたという経歴を生かして、会社でも人の言うことをきちんと聞いて仕事をする。

そのうち結婚して子どもを産んで、家庭が出来、出世はしたりしなかったりするけど、穏やかで安定した生活を送る…。

なーんてな。

「普通」という言葉については思うところがいろいろあるけど、今は上で述べたような人生を「普通」と表現しました。普通に勉強して普通の学歴をつけないと、このような人生にするには(出来ないってことはもちろんないけど)、現実問題、社会の仕組みがそうなっているから、難しいことが多い。勉強をみんなと同じようにしてきた人と、してこなかった人では、大人になってからの人生難易度が異なるように出来ている。

社会の仕組みとは、学歴が無いもしくは弱いと就職で苦戦するようなシステムになっているということを指しています。面接で学歴が良い人が優先されることは当たり前にあります。また、そもそも学歴がないと面接へ辿り着くことすら出来ない、というかまず説明会へ出席することができない、ということもままありますよね。

 

ちょっと脱線が長くなってしまいましたが、無難にサラリーマンになるためには、無難に勉強をちゃんとしてきたということがかなり有利に働きます。そんな世の中なんです。

子どものことを心配している親や先生としては、何事もなく無難に安定した人生を送ってくれることほど、安心することはありません。周りの子と同じように勉強しててくれれば、「普通」を外れる可能性は低くなります。

 

「普通」じゃない人生…?

例えば、生活保護や手当で暮らしている人、ホームレス、フリーター等々。就職してどこかの企業の正社員になる以外の生き方。こういった生き方が、いわゆる「普通」ですか?と聞かれれば、そうです!とは言いづらい。

「普通」を外れないように過ごすということは、こういう生き方になるリスクを減らすことにつながります。

ただそれは同時に、例えば、芸能で生きていく人生、経営者として生きていく人生等々に辿り着く可能性も一緒に小さくしているということでもあります。

 

勉強”しなくちゃいけない”

なんでこんなにめんどくさいことになっているんでしょう。言われるのが「勉強はしといた方が将来便利だよ~~~~(ハナホジ」くらいのノリだったら、例えば「将来、世界が広がる可能性があるんだよ」とか「いろんな視点から物事を考えられるようになるよ」とかっていう、うっすい理由でもなんとなくわかるような気もしなくもないんです。

しかし、子どもたちは「勉強しなくちゃいけない」と強制されています。勉強に明らかに向いていない子も、やるように強制されます。

 

大人の皆さん、自分がニガテなことって各々何かしらあると思いますが、それをやれと強制されたとき、嫌な気持ちになりますよね。やっても出来ないことをやれ、がんばれ、って何年も言われ続けるのって辛い。

嫌なことを強制されるからには、その理由を教えてくれないと腑に落ちない。だから聞くんです、「なんで勉強しなくちゃいけないの?」って。

それの回答が、「学び方を学ぶためだ」だの「多角的視野を身に着けるためだ」だの、ふわーっとしてよくわかんない。でもそう答えたオトナはドヤ顔。

※「嫌だと思ってもやるんだよ、勉強くらいで音を上げてたら、生きていけないよ」的な埃っぽいメッセージは、現代において全く需要がありませんのでご注意ください。

 

いろいろな理由が見られるけれども、どの理由も、”勉強しなくちゃいけない”、と人に強制することを正当化する程の理由として不十分なんじゃないのか、と思うのです。

 

本当に、勉強しなくちゃいけない?

いろいろ考えてきましたが、勉強しなくちゃいけない理由は、これといって思いつきません。こうなってくると、「勉強しなくちゃいけない」っていうのがそもそも間違っているのではないか、と。

しなくちゃいけないことなんてこの世に一つもないのでは…?

私は、勉強云々の前にそもそも、何かをしなくちゃいけない、なんてことないんじゃないかって思ったりするんです。

人間は結局いずれ、しんで消えてなくなります。命にはこれといった意味は無い。

例えばですけど、ライト兄弟。彼らがいなければ飛行機は今なかったかもしれないし、次世代の人々の生活を豊かにしてくれたんだから、彼らが生きたことに意味はある、という意見があるかもしれません。

でも、私が言っているのはそういう意味ではなくて、ライト兄弟の恩恵を受けた次世代の人々もいずれ必ずしにます。ライト兄弟の恩恵を受けた次世代の人々、の恩恵を受けた次々世代の人々もいずれ必ずしにます。以下略。

”食ってかなきゃいけない”っていうけど、食ってったところでいつか必ずしにます。食糧は、人間が生きるために必要なものだけど、それを食うだけ食って生きてきた人間は、最終的にしんで無くなる。

どこまでも突き詰めて考えれば、この世のすべてに何も意味がないような気がしてきます。

意味がないのに、存在し、意味がないのに、生きている。ただ、それだけ。

だから、もはや何にも捉われる必要はないし、好き勝手にしとけばいいんじゃないか、って思ったりします。

 

「生きること」は究極の「趣味」

生命に意味がないと考えるからといって、私は別にしんでもいいとか、しにたいとか、思っているわけでは全くないです。むしろ、生きたいと思っています。

”意味はないけどやりたいこと”の究極が、「生きること」だと思っている。

例えば、「趣味」は、意味はないけどやりたいことの典型で、ただ楽しむ、それだけです。私は、「生きること」もそれとパラレルであり、究極の趣味にすぎないのではないかと感じています。

「生きること」は、ただ楽しむためのもの。

 

そう考えていくと、生きることさえ「しなくちゃいけない」というわけではないんだから、勉強なんてなおさら「しなくちゃいけない」なんてなるわけなくね?と思っちゃうのです。

 

「あなたのためを想って言っているの」はダウト

勉強しろ、というのとセットでよくつかわれるフレーズに「あなたのためを想って」ってやつがあります。もちろん勉強に限らず使用されるこのフレーズ、「あなたのため」は、100%「自分のため」です。

自分の子どもが「普通」を外れてしまうと、親失格?子育て失敗…?って、子どもがちゃんとしてくれないと、自分が不安なんです。

「あなたのため」といって何かを押し付けたことのある人は、まずは自分の中にある不安に向き合った方がいいです。

 

「普通」と認められると立派

有名大学を卒業して、正社員で就職して、働いて家族を養う。そうすると、「自立して生きている立派なオトナ」という称号が得られます。

みんなに認められる、立派だねと言われる、本人もそれで安心しており、他の人に見られても恥ずかしくない人生だと思っている。

そんな関係性を、私は気持ち悪いと感じてしまうことが多々あります。

 

立派になるとどうなるの?

「勉強してやるべきことをしっかりやらないと、自立した立派な大人になれないよ」っていうよくあるメッセージがあります。

立派になったら、どうなるのでしょうか。何かいいことがあるのかな。

誰に見られても恥ずかしくないように生きなさい、とかありますが、私は思うんですよね。誰もお前のことなんか見てなくね?”恥ずかしくないように”って、誰に対して言っているんだろう。自意識過剰だと思う。

 

恥ずかしいのは自意識過剰だから

恥ずかしいというのは、人からどう見られているかを気にしているから感じる感情です。変な人だと思われてないかな、バカだと思われてないかな、ちゃんとしてるって思われたいな、等々。外からの視線を意識しているから、うまくやらなきゃと思って緊張したりするんだと思うんです。

だから、「恥ずかしくないように生きろ」とかっていうのは、人の視線を感じすぎている自意識過剰な人が言うことだと思ってます。

 

世の中ってどんなところ?

子どものみなさん。世の中がどんなところか、どのくらいの広さか、というあなたの社会に対する認識は、自分の関わった大人、特に親と教師が言っていたことに大きく影響されています。自分でも気づかないほどに、親と教師の影響は計り知れません。

親や教師にかけられてきた言葉によっては、生きるのが辛いことになってしまったり、苦しいことになってしまったり、はたまた我慢しつづけるものにすら、なってしまったりします。

 

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でも、本当は、世の中は自分が思っているより、ずっと広くて果てしなくて、超楽しくて、そして自由極まりない楽園なんですよね。

 

 

答えなんか結局わかんないんだし、ここまででもういいや。

以上、私が考えたことの謎発表でした。