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私は今日、夢を叶えました。あなたの夢はなんですか

 

みなさま、ごきげんよう

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今日は日曜日~~意味わかんないことを考えてみよ~~うぅ~

 

 

※ネタカテゴリです

 

 

私の夢は…

「夢」っていうと、あまりにたいそうなもの、って感じがします。

「夢」ってみんなが「すごいねー!」って言ってくれるような、かっこよくて立派なものでないといけないようなイメージがあります。

 

だから、そんなたいそうな「夢」というものを「叶える」というのは、難しいことで、簡単に成し遂げることなど出来ないことだと、多くの人が思っているのではないでしょうか。

 

難しいことだ、と多くの人が認識しているからこそ、「夢を叶える方法」的な書籍が、次から次へと本屋へ並び、売れているのだと思います。

 

しかし、「夢」とは立派なものでなければならないと決めたのは、いったい誰なのだろう。

よく考えてみれば、そんなことはそもそも決められていないのではないか、ということに思い至ります。

 

夢を勝手に”デカいもの”だと決めつけて、「私にはそんな力はない…」とか「私なんて…」という小劇場をやっている暇があったら、食べたいけど我慢していたものを思い浮かべて、それを食らうことを「夢」にしてみよう。

 

 

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ニューヨークチーズケーキ|スターバックス コーヒー ジャパン

  

                                                   

私は今日、スターバックスのニューヨークチーズケーキ(432円、税込)が食べたかった。年に3回くらい食べる、ニューヨークチーズケーキ。価格は別に高くないし、家のそこそこ近くにスタバがあり、距離的にも買いに行ける。

しかし、なぜかいつも、もったいないとか、めんどくさいとか思って、実際に買うことは年3回くらいになってしまう、そんなニューヨークチーズケーキ。

 

「食べたい」、そうそれは欲望、いわゆる「叶えたい夢」と同じことです。

私は、「私の今の夢は、ニューヨークチーズケーキを食べることだ。」と思いながら、徒歩15分の道のりを歩き、買いに行った。そして、帰宅して、ニューヨークチーズケーキを食べた。私は今日、「夢」を叶えた。実に、簡単だった。

 

 

 

”夢が見つからない”

夢とは、要するに「欲望」です。

メダルを獲りたいオリンピック選手も、ニューヨークチーズケーキが食べたい私も、同じように自分の欲望を満たそうとしているにすぎません。(もちろん、欲望によって難易度は異なります)

 

そう考えると、大小関わらず夢がひとつも見つからない、ということはよっっっぽどな状況ということになります。

寝たい、食べたい、夜の営みをしたい。大きいものから小さいものまで、欲が全く一つもないんだ、という状態はさすがになかなかない。

 

 

私は今まで、上で言ったように、夢っていうと立派なものでないといけない、という感覚でした。無意識にそう思っていました。

去年くらいまで、世間でも認められがちな立派系な夢を、私も持っていました。

しかし、ゆっくり内心を振り返ってみると、立派な夢を持たなければいけない、だからこの夢を持つ、という流れだったかもしれません。

 

過去のことを思い出そうとすると、無意識に今の自分に都合の良いように改変してしまいがちだから、正確なことはもうわからないですが、本当の本当に、自分の心の底から湧き上がってくるほどその夢を叶えたかったのか、と聞かれると、ちょっと疑問かもしれません。

それは、本当に「自分の欲望」だったのだろうか、って少し考えてしまいます。

 

今は、心の奥から湧き上がってくる「自分の」欲望であるならば、どのような大きさでも「夢」だ、と感じています。

食べたいものを食べる、とか、欲しいものを買う、とか。

 

逆に、いくら世間的に立派な夢といわれるようなものであっても、それがきちんと「自分の欲望」でないならば、叶えたところで自分が心底満たされるわけではないのではないか、と思います。

 

「自分が」本当に欲しいものは何なのだろうと、ふと冷静に振り返ってみると、今努力して得ようとしているものが、本当はそんなに欲しいとは思っていない、ということに気が付いたりすることもあります。

 

自分の欲望をちゃんと聞き、的確にそれを満たすようにしたいと思っています。

 

今日の私は、世間的に認められる立派な人間になることよりも、ただチーズケーキが食べたかった。そして、その自分の欲望を満たした。

 

 

自分にピントを合わせる

こんな風に、自分にピントを合わせて生活する、ということを始めると、ひねくれた感情を感じることが少なくなってきます。

ひねくれた感情とは、例えば「罪悪感」のことです。

 

「眠たい、たくさんお昼寝したい」という欲望があった。だから、休日にお昼寝をした。そして、5時間後に目が覚めた。

 

以前だったら、「さすがに昼寝をたくさんしたいといったって、5時間もするつもりはなかった、なんでこんなに寝ちゃったんだろう。ああ、本当に自分はだらしない。情けない。」という感情が湧いていました。

 

しかし、今は、「たくさんねました。きもちよかった。おわり。」

余計な雑念のようなものが消え、小学生レベルの感想しか浮かばないようになりました。

 

むしろ、自分の欲望をしっかり満たすことができたのに、罪悪感を感じるほうが不自然な気すらしてくるのです。

 

 

 

 

 

 

 

チーズケーキを食って昼寝しただけの超なにもない一日から、何が書けるか考えてみたところ、意識高い系に見せかけた意識かなり低い系の記事が生まれました(爆)

 

 

物は言いよう」とはまさにこのこと

 

正当化!万歳!☜ (◉◞౪◟◉) ☞

 

 

 

 

<今日やったこと>

・起きた

・息を吸ったり吐いたりした

・スタバのチーズケーキを食べた

・寝て起きた

 

 

 

おわり