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温泉寺|上諏訪【御朱印】諏訪湖を一望できる温泉寺!諏訪湖七福神の布袋尊

長野県上諏訪温泉寺にやってきました。境内に天然の温泉が湧き出ている…というわけではありません。この付近で温泉がたくさん湧いていて、その温泉を守るために薬師如来を祀ったことが始まりです。

諏訪大社と関わりがあって、御柱が建てられています。他にも、庭園鉄塔などの見どころがあります。温泉寺は高台にあるので、諏訪湖を一望でき、晴れた日には素晴らしい景色を堪能できるところが、最大のおすすめポイント。

 

臨江山温泉寺とは?こんなところ。

臨江山温泉寺といい、臨済宗妙心寺派に属しています。高島藩主諏訪家の菩提寺でもあります。温泉寺の名の由来は、近くに温泉が湧出し温泉のまもり佛として、薬師如来を祠ったお堂があった場所を広めて寺を建てたことによります。

 

諏訪の温泉寺へアクセス!駐車場は?

中央本線上諏訪駅から、徒歩で15分。高台にあるため、坂が大変。ゆるい坂道がずーっと続くルートと、階段で上まで行っちゃうルートと2つあります。

これは、階段で行ったときの写真です。後ろを振り返って撮った一枚。そこそこえげつないので(笑)、水分補給をしながら、ゆっくり登ってください。何かのアニメで出てきそうな雰囲気だなぁ。

坂道のふもとには、「平湯」という地元の温泉があります。私はこちらに何度もお世話になりました。温度が43度くらいで程よく気持ちのいいお湯です。

 

それでは、参りましょう! 

 

高島城から移動してきた山門!薬医門ともいう

入口の階段を上ると、最初にお出迎えしてくれるのが、こちらの山門薬医門ともいいます。この門は、高島城から移築されたものなのです。額には、「臨江山」の文字があります。 

温泉寺山門について

この山門(薬医門)は、もともとは高島城のもので、明治三年、寺の火災の後本堂とともにここに移築されたものであるが、高島城の何処にあったものかは確かな資料はない。

 

山門を入ってすぐ後ろを振り返ると、こちらの景色。素敵ですね。

温泉寺の経蔵 

この経蔵には安永九年(1780)初代立川和四郎富棟の手になる八角八面の輪蔵がありその中に黄檗板おうばくばん大蔵経がおさめられている。これはその昔、文字を知らない人のために真心こめてこれを一回転することにより経文を読んだと同じ功徳があるとしたものである。

 

温泉寺の桜の木

山門を入ると、まず目に飛び込んでくるのが、こちらの大きな桜の木です。大阪夏の陣の、勝利記念で植えられたものです。

忠恒櫻について

この老木は藩主忠恒公が大阪夏の陣(1615)に出陣し、戦勝凱旋の際持ち帰り御廟(藩主の墓所)の参道に桜大門として記念に植えたうちの一本であります。

明治三年温泉寺火災の熱により損傷をうけ空洞化して樹勢が衰えていたが、諏訪地方事務所林務課と樹木研究会緑の輪の御尽力により樹勢回復の処置をして頂いたものです。

 

温泉寺の立派な梵鐘!背景には諏訪湖が。 

こちらは見どころですね、とても展望がいいです。梵鐘の後ろには諏訪湖が望めます。長野県の県宝に指定されています。

梵鐘について

天正十年(1582)織田信忠の軍が、伊那郡市田村(現高森町下市田)の安養寺から略奪して、上乃諏訪(神宮寺)まで引きずってきて、そこへ捨てていったものを、温泉寺創立にあたって流用したものといわれている。

鐘銘は長い道のりを引きずってきたため摩減してしまっているが、”旹 永享二年竜集庚成霜月二十八日住持比丘寿 勤銘檀那美濃守源清 大工大和国藤原朝次” と読める。

永享二年(1430)に伊那郡市田村の安養寺の為に鋳造されたものであることがわかる。

 

温泉寺の本堂はこちら!元は高島城の能舞台

山門と同じく、この本堂も高島城から移築されたものです。高島城にあったときは、能舞台として使用されていました。

温泉寺の本堂について

この本堂は、文政十年(1827)高島藩主八代の忠恕(ただみち)のとき、場内に建てられた能舞台であるが、明治三年寺の火災ののち本堂として移築されたものである。

中央に三間四方の本舞台、後坐、地謡坐などの遺構を残している。

 

温泉寺の御本尊は?札所など

温泉寺の本尊は、釈迦如来です。

温泉寺の札所など

  • 中部四十九薬師霊場7番
  • 諏訪三十三番観音霊場24番
  • 諏訪湖畔七福神 布袋尊

諏訪湖七福神、布袋尊の像。

後述しますが、温泉寺御朱印は上記の三種類頂くことができます。

 

 

温泉寺には、平安時代の歌人「和泉式部」のお墓があるよ!百人一首にも登場してます

和泉式部といえば、百人一首のこの句が超有名。 

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に

 今ひとたびの 逢ふこともがな

意味は、「私の命はもう尽きてしまう。あの世へ持っていく思い出として、せめてもう一度、あなたに会うことはできないのでしょうか」的な感じです。熱い恋の句ですね。むず痒い(笑)

紫式部「和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ」(紫式部日記より)、って悪口言われちゃったりしてるのも有名で、ちょっと笑うんですが、そんな和泉式部のお墓が、温泉寺にはあります。 

『和泉式部ってひと、和歌はすごくいいの作るけど、恋愛体質で素行はどうしようもなく終わってるわね』(by 紫式部)

 

本堂裏手には庭園がありますよ、行ってみましょう

本堂向かって右に、奥へ進める道があります。鉄塔などもこの先にありますので、見学しましょう。

地蔵尊がありました

脇道の階段をのぼると、お地蔵さんがありました。200年ほど前に設置されたもののようです。

この地蔵尊金佛は、當山十代住職願王和尚が、京都九條関白家より文化年間(1840-1814)に拝領された尊像です。

 

温泉寺見どころ!この多宝塔の中に温泉寺鉄塔が納められてるよ!

この画像は「多宝塔」です。有形文化財の鉄塔は、この中に奉納されています。普段は見ることができなくて、御開帳の時のみ拝観することができます。

鉄塔は、諏訪大社上社の御神体とされていたもので、こういった諏訪大社との関わりから、温泉寺はお寺にも関わらず、御柱が建てられるようになったと考えられます。

温泉寺鉄塔について

鉄塔とはいうものの石造であり、もともとは諏訪大社上社の御神体とし、拝殿の奥に安置され信仰の対象であった。

鉄塔は弘法大師が建てられたが、腐朽したため源頼朝が再興したといわれている。寛永八年(1631)高島藩主諏訪忠恒が石造にて復興し、この仏舎利を祀った。

明治初年の神仏融合により撤去放置されたのち、湯の脇天神山に移し、一社を設け祀る計画もあったが国学者の反対で実現をみることができなかった。藩主の菩提寺である温泉寺に移され安置することに決まり、今日に至ったのである。現在の多宝塔に納められたのは昭和五十四年だった。

 

多宝塔の周囲にある四本の御柱

 

緑豊かな温泉寺の庭園

とてもきれいでした。この辺りは、足元があまりよくないので気を付けて散策しましょう。

 

温泉寺の御朱印、頂き方アドバイス。寺務所はこちらです

本堂向かって左には、こちらの建物があります。

ピンポンがあるので鳴らし、御朱印を頂きたい旨伝えましょう  

なぜか私は一度見逃してしまったのですが、寺務所には、インターホンが設置されています。「御朱印を頂きたい」もしくは「七福神の色紙に朱印を押していただきたい」旨、伝えましょう。

結構不在が多いので要注意です

書き手さんが、外出中で不在だったり、法事の最中だったりして、書いていただけないことが割と多いです。私は三連敗しまして、諦めました。書置きも、用意があるときと無いときがあります。

ただし、諏訪湖畔七福神の色紙に印を押す場合は、印を押すのみですので、すぐにやって頂けます。

 

諏訪の温泉寺の御朱印はこちら!

色紙だけですが、頂いてきました。

温泉寺の御朱印の値段

300円

温泉寺の御朱印の種類 

  1. 中部四十九薬師霊場7番「薬師如来」
  2. 諏訪三十三番観音霊場24番
  3. 諏訪湖畔七福神「布袋尊」

三種類、頂くことが出来ます。タイミングがよければ、持参の御朱印帳に墨書きしていただけます。書き手さん不在なら、書置きです。ただし、書置きでも用意がないときもありますのでご注意あれ。 

 

諏訪の温泉寺情報まとめ 

  • 住所:〒392-0002 長野県諏訪市湯の脇1丁目21-1 
  • アクセス: JR中央本線上諏訪駅から徒歩10~15分、諏訪ICから車で15分
  • 駐車場:あり