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職業、流浪の民。

広島の平和記念資料館の展示物がエグくて半泣きになった話

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広島『平和記念資料館』の見学レポートです。感受性が強めな人は、閲覧注意です。グロい画像等は一切ありませんが、感受性が強い方や想像力が豊かな方が見ると、悲しい気持ちになる画像や説明文があります。

 

精神が元気な状態じゃない人も、ついでにブラウザバックだっっ!

 

 

▼前回の記事

 

平和記念資料館

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平和記念公園の中の端っこにある、この資料館。

 

原爆のエグい資料やら何やらが、「ほいっ、ほいっ、ほほほいっ」っと容赦なく展示されています。いや~これはキツイ。中学生とか修学旅行っぽい学生たちがいたけど、連れてこない方が良いよって思っちゃった。

 

 

意味もなく、なんとなく広島まで来た私は、一通りの観光スポットをさくさくっと見学していました。最初は、厳島神社のある宮島に行きました。

 

次の日、やっぱり広島と言ったら原爆ドームは見ないとなあ、と思い、こちらの平和記念公園へ来たのです。

 

そんな風に、「観光スポットのひとつ」的な感じで、軽い気持ちで来たんですが、よく考えたら、ここは原爆被害の中心地なわけです。そういう重い歴史のあるところです。

 

公園内を一通り見学し、資料館へとやってきました。「あーこんなのあるんだー」と、なんとなく入ってみることにしました。

 

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入ってすぐに現れるのが、この写真の展示。今いるここの上空をこんなのが覆ったんですね、どんな感じだったんだろう、想像できないな

 

写真は、通路にも続きます 。

 

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原爆と広島市の縮図です。やばいです、この大きさの比。こんなん落ちてきたら、そりゃ壊滅しますよ…

 

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他にも種々の戦争に関する展示物があります。展示されているすべての物の背景に人間がいたんだということを想像すると、精神がいかれそうになります。展示物が訴えかけてくるものが強烈すぎます。

 

原爆で止まった時計

午前8時15分(原爆投下時刻)を指したまま止まっています。

 

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当時59歳だった二川謙吾さんは、爆心地から1640m離れた橋の上で被爆し、爆風で川に吹き飛ばされました。

 

右肩から背中、頭部に大火傷を負いましたが、郊外の親戚の家まで何とか避難しました。

 

家族の看病を受けながら8月22日に亡くなりました。この時計は長男の一夫さんから贈られたもので、謙吾さんが肌身離さず持ち歩いていました。

 

川に吹き飛ばされた衝撃のためでしょうか、時計のガラスはありません。

 

中学生のお弁当箱

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母親のシゲコさんは戻ってこない滋さんを捜して市内を歩き回り、被爆から3日後の早朝、うずくまるような姿で亡くなっている子どもを見つけました。

 

腹の下に抱きかかえるようにして持っていた弁当箱に刻まれた「折免」の文字で、その焼け焦げた遺体を滋さんと確認することができました。

 

弁当箱には穴があき、中身も焦げて真っ黒になっていました。

 

黒焦げの弁当箱には、大豆や麦の混ざったごはんと根菜の妙め物が詰められていました。

 

自ら収穫した作物で母親が作り、あの日食べるのを楽しみに作業に持って行ったお弁当でした。

 

中学生の水筒 

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当時12歳だった北林哲夫さんは、爆心地から600m離れた場所で建物疎開作業中に被爆しました。

 

重傷を負いながらも自宅近くまで戻ったところを、両親が見つけ、爆風で壊れた自宅で看護を受けました。

 

顔は大火傷でゴムマリのようにはれ上がり、目も鼻も区別がつかない状態ながら、避難した時の様子を話すなど意識はかなりはっきりしていました。

 

翌8月7日の夕方突然意識をなくし、うわごとのように歌を歌いながら亡くなりました。

 

この水筒は、哲夫さんが被爆の時に持っていたものです。

 

原子爆弾のレプリカ

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伸ちゃんの三輪車

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当時3歳だった鉄谷伸一ちゃんは、爆心地から1,500m離れた自宅の庭で、三輪車に乗って遊んでいた時に被爆しました。原爆の熱線のためにひどい火傷を負い、その日の夜亡くなりました。

 

父親の信男さんは、3歳の子どもを一人でお墓に入れては寂しいだろうと思い、大好きだった三輪車と一緒に、自宅の裏庭に伸一ちゃんの亡骸を埋めました。伸一ちゃんの頭には、鉄かぶとをかぶせました。

 

被爆から40年後の夏、庭から掘り出して、遺骨はお墓に納めました。

 

伸一ちゃんとともに40年間裏庭に眠っていたこの三輪車と鉄かぶとは、被爆からの長い年月を語るかのように、錆びて今にも壊れそうです。

 

人影の石

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この石は、爆心地から260m離れた住友銀行広島支店の入り口の階段の一部です。

 

強烈な熱線のため、石段の表面は白っぽく変化し、人が腰掛けていたと思われる中央の部分だけが影のように黒くなって残りました。

 

石段に座って、開店を待っていた人は、原爆の熱線を正面から受け、逃げることもできないまま、その場で亡くなったと考えられます。

 

建物は戦後も、一時期使用されていましたが、1971年の建て替えの際に、この部分が切り取られ、ここに移設されました。

 

エピソードを合わせられちゃうと、エグすぎます。気軽に来るんじゃなかった…。

 

そのほかにも、原爆の威力を示すものが色々。

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▲一瞬で溶けてくっついたガラス瓶のかたまり 

 

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▲高熱でひしゃげたビン 

 

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▲炊飯器と米

 

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▲リアル”黒い雨”の展示

 

『黒い雨』といえば、井伏鱒二さんの本。

 

精神が弱すぎるので、戦争系はマジで苦手。高校の時、数学の授業中に読んでて気分悪くなったのを覚えています(数学をやれ)

 

佐々木禎子さんのカルテ

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この方は、記念公園内の『原爆の子の像』のモデルとなった方です。

 

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佐々木さんに関連する展示物は他にもたくさんあって、闘病する様子の佐々木さん本人の写真も展示されていました。別に撮影OKのところなんですけど、なんだか撮る気になれませんでした。

 

折り鶴

ひと通りの展示を観終わると、こちらの折り鶴がありました。ニュースでよくやっていましたね

 

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公園内が一望できます。

 

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平和記念資料館の記念スタンプ

折り鶴の周辺には、記念スタンプがありました。

 

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私は戦争世代ではないし、戦争で誰かが亡くなってしまった経験もしていないのですが、ここの展示物やその説明文に精神的ダメージをくらってしまいました。一人で終始半泣き。

 

私は、人に対する思いやりとかそういうのからは遠いタイプのポンコツな人間なんですが、そんな人ですら、心に「うっ」とくる場所でした。

 

中にいた人は、日本人よりも外国人観光客の方が多かったです。博物館とか美術館とか資料館とか、そういう展示館って大きなイベントでもない限り、お客さんまばらなことが多いじゃないですか。

 

でも、ここは混んでいました。資料館にしては、かなりの人が来ていました。たくさんの人がいたのに、「しーん」としていて、お客さんたちのカメラのシャッター音がすごく響いていました。

 

外国人の方を含めて、こんなに人が大勢集まっているのに、静か過ぎです。それがまた異様に感じる空間でした。HPが削ぎ落とされてしまいました。

 

平和記念資料館の営業情報

  • 営業時間:8:30~17:00(変動あり)
  • 料金:大人200円、高校生100円、中学生以下無料
  • アクセス:広電「中電前」もしくは「原爆ドーム前」(平和記念公園の中)

  

おわり!!!!!