会津の有名観光スポットといえば、さざえ堂。さざえ堂は飯盛山にあるのだが、そこには白虎隊にまつわる史跡や博物館もあり、セットで巡るのがお馴染みの観光名所である。御朱印もある。
さざえ堂は、2層のらせん構造になっている非常に珍しい建物で、テレビでも良く取り上げられることが多い。以前から気になっていた場所ということもあり、会津に来ることがあればぜひ立ち寄りたいと思っていた。
飯盛山動く坂道を利用してみる
まちなか周遊バスで飯盛山の麓までやってきた。山の上までは階段が多少続くが、エスカレーターも用意されている(有料)。この時期は体がまだ弱かったので、体力を温存するためにお金を払って乗ってみた。
上まで一気に連れて行ってくれるので、体力だけでなく時間にあまり余裕がない観光客は遠慮せずに利用してみると良いかもしれない。楽できるし、時間も節約できる。
ただし、白虎隊の史跡やさざえ堂まで行くのにそこまでたくさん登るわけでもないので、ちょっとした運動だと思って登ってみた方が体のためかもしれない。
- (左)飯盛山の御朱印。
- (右)会津塗の御朱印帳。8500円。
ちなみに、この日は上での御朱印記帳が閉まっていた為か、動く坂道の利用料を支払う窓口にて書置きの御朱印が配付されていた。時間が夕方迫っていたこともあり、行きの段階で頂いておいた(帰りは閉まっていたのでよかった)。
上まで登ったところにあるお土産屋さんでは会津塗の御朱印帳が頒布されており、非常に美しかったがさすがのお値段であった。
白虎隊十九士の墓、白虎隊の自刃の地
会津藩が編成した「玄武隊」「青龍隊」「朱雀隊」「白虎隊」。白虎隊の内、20名がここ飯盛山で自刃した(内1名は助けられたので、亡くなったのは19名)。この先には悲しい歴史が続く。
会津藩は戊辰戦争で歯向かっていた側だったため、敗北後、亡くなった白虎隊の埋葬を禁止した(野ざらしにするように命じた)。
途中、飯盛山関係者が悼んでこっそり埋葬しようとしたがバレて処罰されるなど苦難の連続であったが、明治に入ってようやく合葬できることになった。以降、慰霊碑が建てられていった。
- (左)慰霊碑。
- (右)この先に自刃の現場がある。
- (上)白虎隊の自刃の場。
他にも、イタリー記念碑やドイツ記念碑等、白虎隊の精神・行動に感銘をうけた諸外国から送られた碑も見どころ。
飯沼貞吉(貞雄)の墓。これは白虎隊20名の内、唯一生き残った男性の墓。自分だけが生き残ってしまったという自責の念に駆られたそう。ただ、彼がいたからこそ、死に向かう前の白虎隊の詳細が世間に知られ、後世まで伝え残されることになったので、功績は大きい。
遠くに臨む、火の海に包まれた会津城を見て、彼らは何を想いながらしんでいったのだろうか。
さざえ堂、交わらない2層の螺旋を体験する
- (左)さざえ堂。
飯盛の先祖によって建立されたお堂で、西国三十三観音菩薩を祀っていたが仏像は神仏分離で片づけられてしまった。正式名称は、円通三匝堂という。
さざえ堂の由来は、建物の外観がさざえの殻に似ているから。1つの塔なのに、上りと下りが交わらないように作られているのが最大の特徴、(上がって下るだけで400円か)など小言は言わず、ぜひ実際に入ってみてその世界観を体験することをお勧めする。
(上)さざえ堂の拝観券。大人400円。
- (左)宇賀神堂。白虎隊の霊装が祀られている。
- (右)供養車。回すと物悲しい音がする。この音を届け、白虎隊の魂を鎮める。
- (左)御朱印。宇賀神堂の左隣にある土産店の受付でいただいた。
- (右)宇賀神堂の御朱印帳の頒布もあった。2000円。
- (左)巌島神社。
(上)霊牛神堂。
白虎隊記念館
白虎隊記念館には、戊辰戦争に関連する資料、白虎隊の遺品等が収蔵されている。有料大人400円。帰りに寄ろうとしたら閉まっていたのが残念。