野口英世青春館(旧会陽医院)は、野口英世が青春時代を勉学に励んで過ごした会陽医院跡に作られた博物館です。一般に公開されていて、1階は自家製珈琲を提供している喫茶店です。
福島の貧しい農家に生まれた野口英世は、幼少期の大やけどで左手がくっついてしまいました。指がくっついているせいで同級生にいじめられていたものの、高校生の頃、ここ会陽医院で手術を行い、ついに指が分離しました。この経験にひどく感動した野口は、医学の偉大さに大きく感銘を受けて、医学の道を志すこととなりました。
この会陽医院に書生として住み込み、独学で寝る間も惜しんで勉強して、医師免許試験に合格したそうです。野口英世の青春時代が詰まった場所です。
外観
1階は喫茶店になっている
野口英世は何がすごい?
1000円札の人で、明治大正時代の医者・細菌学者です。最も有名なのは「黄熱病の研究」です。当時、黄熱は50%の人が亡くなる恐ろしい病気でした。黄熱以外にも、世界各地で未知の病気の研究に取り組んできた功績が評価され、ノーベル医学賞候補に何度も挙がりました(受賞はしていない)。野口はアフリカで黄熱のワクチン開発に尽力している最中に、自分も黄熱にかかってしまい、そのまま亡くなりました。
1000円札の人で、明治大正時代の医者・細菌学者です。最も有名なのは「黄熱病の研究」です。当時、黄熱は50%の人が亡くなる恐ろしい病気でした。黄熱以外にも、世界各地で未知の病気の研究に取り組んできた功績が評価され、ノーベル医学賞候補に何度も挙がりました(受賞はしていない)。野口はアフリカで黄熱のワクチン開発に尽力している最中に、自分も黄熱にかかってしまい、そのまま亡くなりました。
野口英世には逸話があって、高校の時、左手の手術費を稼ぐために、同情を買うような作文を書いてカンパを集めたそうです。優秀な医学の研究者は、学生時代からプレゼン能力も高かったようです。
会陽医院の看板
野口英世が同僚からひんしゅくを買うくらいずっと眺めていた顕微鏡
野口英世の履歴書。22歳時点でこんなに経歴書けることある…?
勉学はもちろんですが、野口英世はここで恋愛もしていたようです。文字通り、青春を送った場所です。
野口英世青春館の基本情報
- 〒965-0878 福島県会津若松市中町4−18
- 9時00分~18時00分
- 024-227-3750
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